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京大卒ブロガー「信長」の自己紹介と「ヤバイ大学受験Blog」を開設した理由

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京大の学生証
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はじめまして!信長(@nobunaga_ydb)と言います。

突然ですが、この度「ヤバイ大学受験Blog」を開設することにしました。

今回は「信長」の自己紹介と、「ヤバイ大学受験Blog」を開設した理由について書いていきます。

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京大卒ブロガー「信長」の自己紹介

まずは、このブログの管理人である「信長」の自己紹介をしたいと思います。

少し長いですが、お付き合いください。

 

ざっくりとした経歴

出身は関西で、某進学校→1年浪人→京都大学経済学部→現在はサラリーマン的な流れです。

生まれてから大学を卒業するまでずっと関西にいたので、関西弁が強いです。

そのせいか、関西を離れた今でも全然関西弁が抜けません。

趣味は映画鑑賞とネットサーフィ…、あかん、このままじゃ全然おもんないので、高校時代から軽く振り返ってみようと思います。

 

進学校に入学するも、部活に熱中しすぎて全然勉強しなくなる

僕の入学した高校は、関西の中でも結構有名な進学校でした。

進学実績がすごく、入学した段階で99.9%の生徒が「東大・京大・国公立大医学部」を志望している感じでした。

進学校あるあるですね。

関連記事 超リアルな「進学校あるある10選」を紹介します!

 

僕自身、入学当初はオカンに向かって、

なあオカン、俺京大入るわ。

てか、進学校に入学してる時点で俺天才やから、まあ入れるやろ。

楽勝楽勝。

と言ってました。

これから落ちぶれていくフラグビンビンですね。

 

部活は中学に引き続き、陸上部に入りました。

「体育会系の部活といえど、進学校やからそこまでキツくないやろ…」と思っていたら、僕が入部したのと同じタイミングで、強豪校からスパルタ系顧問がやってきました。

顧問の鬼指導にビビりまくるも、歯を食いしばってがむしゃらに練習したら、専門の100mのタイムはぐんぐん伸びていき、何と高2春の地区大会で100m3位になりました

すっげーじゃん俺!!

 

そんな感じで部活は絶好調だったのですが、勉強のほうはゴミでした。

100mで3位になった地区大会の翌日、ベクトルのテストで19点を取ったのは今でも忘れられません。

 

ここで正常な脳みそを持つ高校生なら、「このままじゃヤバイ…。部活も大事やけど、勉強も頑張らなあかん!」となるんですが、当時の僕は危機感ゼロ

むしろ開き直って、「勉強だけできても、ただのガリ勉やん。実際みんなキモオタやし」みたいに思ってました。

今振り返れば、勉強せずに部活ばかりしていた自分を正当化したかったんですね。

てか、進学校ってそこまでキモオタおらんよ。

関連記事 受験勉強のために部活を辞めるべきか?

 

京大に突撃するも、80点差で落ちる

高3になっても、相変わらず部活漬けの毎日でした。

受験学年ということもあり、さすがに勉強のほうも危機感は芽生えていましたが、当時の僕は勉強よりも部活のほうが大事でした

3年間の集大成として、まずはインターハイ地区予選を勝ち上がることを目標に練習に打ち込んでいました。

 

 

 

 

 

 

しかし、結論から言うと、その夢は叶わなかった。

 

インターハイ地区予選の2週間前の大会で、肉離れになってしまったからです。

今振り返っても、これは結構ショックな出来事でした。悔し泣きっていうやつですね。

テーピングぐるぐる巻きにして何とかインターハイ地区予選は出られましたが、当然惨敗です。

僕の青春は思わぬ形で幕を閉じました。

 

部活引退後は、その悔しさをバネに朝から晩まで勉強マシーンと化し…と言いたいところですが、燃え尽き症候群にかかってしまいました。

正直に言うと、まったく勉強しなかったわけではないんですが、当時は勉強に対する覚悟が全然足りていなかった…。

 

そして入試シーズンになり、京大経済学部を受験するも、80点差で落ちました。

圧倒的敗北です。

関連記事 進学校で落ちこぼれたら、逆転合格できるのか?

 

滑り止めの私大などは受けていなかったので、浪人が決定しました。ちーん。

 

予備校には行かず、有料自習室で浪人することに

99.9%の浪人生は駿台や河合塾などの予備校に行くと思うのですが、ひねくれ者の僕は予備校には行きたくありませんでした。

理由はこんな感じ↓。

  • 予備校に通うだけで、満足しちゃいそうだった。
  • 予備校は人がゴミのように多く、群れるのが嫌いな自分にとって地獄だった。
  • そもそも授業を聞くのが苦手で、朝から夕方まで授業で拘束されるのが嫌だった。
  • 予備校は費用が高く、講習とか受けると余裕で100万超えちゃう。

 

じゃあどうしたかというと、有料自習室を借りて浪人することにしました

結果的にこの選択は大当たりで、毎日有料自習室で地道にコツコツ勉強していたら、ちょっと自分でも信じられないくらい成績が伸びました。

関連記事 【浪人2.0】~有料自習室を拠点とした浪人生活のすすめ~

関連記事 浪人で伸びるタイプと伸びないタイプの特徴を教えます!

 

夏に駿台の京大実戦模試っていうのがあるんですが、そこでA判定を取ったのです。

しかも、あと1点取れば総合点で冊子掲載される感じでした

すっげーじゃん俺!!(2度目)

関連記事 受験生時代の京大実戦模試と京大オープンの成績表を紹介します!

 

そしてこの浪人の時期に、英語の勉強に目覚めます

毎日ひたすら英文を読み、ひたすら英文を書き続けました。

最終的に、英語は河合塾の全統記述模試で偏差値80近くまで伸びました。

 

こんな風に書くと、順風満帆な浪人生活に見えますが、正直メンタル的にはめちゃくちゃキツかったですよ。
特に秋から冬にかけては、プレッシャーで口から心臓が飛び出そうになるほどでした

原因不明の目まいにもなりましたし、秋の京大実戦模試は蕁麻疹のせいで受験できませんでした。

受験が終わって数年経った今でも、浪人時代の夢を見てうなされることがあります。

関連記事 浪人生活ってつらいの?京大卒の浪人経験者が本音を語ります!

 

全国一斉ぬり絵大会(=センター試験)

そんなこんなで最初の関門、全国一斉ぬり絵大会(=センター試験)の日がやってきました。

数ⅡBで52点という記録的レコードを叩き出すも、全体で84%と何とか踏ん張りました。

ぶっちゃけ84%って、京大受験者層の中では全然よくない結果なんですけど、京大はセンターよりも二次試験の配点が圧倒的に高いので、あまり気になりませんでした。

 

そして、センター終了後から二次試験までの約40日間は、新しいことに手を出さず、これまで勉強してきた内容を整理する感じで過ごしました。

この時期はマジで京大に受かることしか考えてなかったです。

体から湯気出てましたもん。

 

滑り止めとかいう概念も全然なかった。

オカンから「とりあえず同志社くらい受けてくれ」と言われて、仕方なく1回だけ同志社を受けました。

2分で解き終わって、すぐ帰宅しました。

早慶は受けに行くための新幹線代とホテル代と時間が無駄だと思って、願書すら出しませんでした

 

2回目の京大入試に挑む

そしていよいよ、2回目の京大入試の日がやってきました。

去年受けたときよりも5万倍緊張していました

去年よりも受かる可能性が高くなっていたからこそ、プレッシャーを感じていたんだと思います。

 

1日目は国語と数学やな。

どっちもそんなに得意ちゃうけど、何とか食らいつくぞ…!

 

 

 

 

1日目終了。

 

 

 

 

 

 

…国語、死亡。数学、微妙。

 

え、ヤバいヤバいヤバい。俺、このままじゃ落ちるやん。

てか、こんなあっけない感じで俺の1年終わるの?

 

 

正直、軽く絶望感に駆られましたが、もうこうなったらいっそのこと開き直ることにしました。

 

受かるとか落ちるとかいったん置いといて、

明日は解答用紙にこの1年を全部ぶつけよう。

 

 

そして2日目になりました。この日は英語と日本史です。

 

 

2日目終了。

 

 

 

 

 

 

 

…英語、無双。日本史、普通。

すみません、多分この年の京大の英作文得点ランキング1位、僕です

関連記事 英作文(和文英訳)で点が取れる書き方のコツを京大卒が徹底解説します!

 

こんな感じで、2日間は一瞬で終わりました。人生で最も短い2日間でした。

トータルの手応えとしては、「50:50」でした。

1日目の出来を考えると落ちているかもしれない。

けど、2日目の出来を考えると受かっているかもしれない。

ふたを開けてみないとわからない感じ。

予備校が出している解答速報を見て自己採点すれば何となく結果はわかるんですが、怖くてできませんでした。

 

なので、試験が終わってから合格発表までの期間は、不安で全然眠れませんでした。

落ち着かないのか、ずっと家の1階と2階をゾンビのように往復していましたね。

完全なる病気。

後期は大阪大に出願していたのですが、過去問を買いに行っただけで1ミリも勉強しませんでした。

 

運命の京大合格発表。救ってくれたのはやはり「○○」だった

そして迎えた合格発表の日。

ビビリの僕は、京大には見に行きませんでした。

だって落ちていたら、ショックで家に帰れないと思ったから

 

インターネットでも合否結果を見られるので、手をガクガク震わせながらホームページにアクセスしました。

 

カチッ…

 

 

 

 

受験番号がずらっと出てきます。

 

 

 

 

 

 

ふぅ…

 

 

 

自分の受験番号よりも少し前の番号から、手で覆い隠しながらひとつひとつスライドしていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…あっ、あった。

 

 

 

0.2秒だけ冷静でした。そのあとすぐに叫びました。

多分人生でこんな瞬間を味わうことは後にも先にも二度とないんじゃないかと思います。

 

 

こんな感じで、僕は京大経済学部に受かることができました。

「勝因は何ですか?」と聞かれたら、間違いなく「英語」と答えます。

それくらい英語という科目には救われました。

 

そして、念願の京都大学に入学します…!

 

京都大学の時計台

 

大学時代は家庭教師のアルバイトと英語の勉強に熱中する

京大入学後は、浪人時代のことはきれいさっぱり忘れて、超充実した毎日を過ごしました!

…と言いたいところなんですが、入学当初は「燃え尽き症候群」にかかってしまいました。

(部活引退後といっしょやん)

 

それまでは京大合格を目指してひたすら努力していたのに、入学したとたん、次の目標を見失ってしまったんですよね。

せっかく受かったんだから、目標なんて考えずに、はじけちゃえばいいじゃないですか!

 

周りの人たちはみんなそう言うんですけど、当時の自分は「自分が楽しむのではなく、誰かに役立つことをしないと!」と、変に高い意識をもっていました。

「周りと同じ量産型大学生にはなりたくない!」みたいな。

今から思えば、相当ひねくれてますね。

 

そして、「自分の力で誰かに役立てることって何だろう?」と考えたときに、パッと思いついたのが、「英語を教えること」でした。

僕は帰国子女でもないし、もともと英語が得意だったわけでもないし、留学もしていないし、そもそも進学校の落ちこぼれだし、浪人してるし、はっきり言って能力は高くありません。

 

逆に、その分「英語ができない人の痛み」を人一倍理解している自負はありました。

その強みを生かして、「英語が苦手な受験生を救いたい!」と思うようになったのです。

 

そして、英語の家庭教師のアルバイトを始めました。

始めてみると、大変なことも多かったですが、それ以上に充実感がめちゃくちゃありました。

人の成長を手助けするのって、何てすばらしいんだろうと思いました。

 

何人かの生徒を教えましたが、一番思い出に残っているのは、2年間指導して慶應の文学部に受かった子です。

その子は非進学校の普通科に通っていて、「明治大学国際日本学部」が第一志望でしたが、当初は「立命館アジア太平洋大学」に受かるのがやっとかなと思っていました。

けど、2年間必死に指導したら、最終的に慶應に受かりました。

この経験により、「正しいやり方で努力すれば、英語は誰でも伸びる」と確信するようになりました。

 

家庭教師のアルバイトと並行しながら、自分自身の英語力を上げるために、英語の勉強も欠かさず行いました。

1のことを教えるためには、100のことを知っていなければならないと思ったからです。

大学受験用の英語参考書や問題集を買いあさり、ひたすら読んで解きました。

 

大学2年生の春休みには、毎日朝から晩まで自習室に引きこもってTOEICの勉強をしました。

TOEICは3回チャレンジして、3回目で920点を取りました。

 

TOEICスコア900点超え

 

大学時代を振り返ると、こんな感じですね。

正直、経済学よりも英語の勉強時間のほうが圧倒的に長かったと思います。

ちなみに、京大経済学部は「パラダイス経済学部」と呼ばれるくらい、本当にゆるかったね。

必修科目もないし、卒業論文も任意だし。

僕は3年生の前期で卒業単位をほぼ揃えたよ。

 

京大の学位記

 

大学卒業後、新卒採用で株式会社Z会に入社

大学卒業後は、新卒採用で株式会社Z会に入社しました。

Z会に新卒採用で入社

 

Z会では教材編集者として、大学受験生向けのさまざまな英語教材を編集しました。

特に思い入れの強い教材は、入社1年目に担当した「必修編 英作文のトレーニング」です。

関連記事 新卒入社したZ会で「必修編 英作文のトレーニング」を編集していた頃の話

 

今はもうZ会を辞めてしまいましたが、Z会では本当に貴重な経験ができたと思っています。

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信長が「ヤバイ大学受験Blog」を開設した理由

で、ここからが本題です。

テーマは、「なぜ信長は『ヤバイ大学受験Blog』を開設したのか?」です。

 

大学受験のリアルな情報を届けたいから

大学受験に関するサイトってたくさんあるんですけど、そこに載ってる情報って結構薄っぺらいんですよね。

こういうの↓、多くないですか?

  • 基礎が大事!英語と数学の基礎をまず固めよう。
  • 参考書や問題集は何周も繰り返そう。
  • 模試のあとは必ず復習しよう。エビングハウスの忘却曲線によると、人間は1日後に74%のことを忘れてしまう。

 

…そりゃそうやろ。てか、みんなエビングハウスの忘却曲線好きやな。

 

あとは、信憑性に欠ける情報も多いです。

  • 「落ちこぼれだった俺が数学の偏差値を3ヶ月で30上げた方法」
  • 「E判定から半年で早慶に逆転合格する勉強法」

 

…うさんくせえ。

 

「偏差値30上げた」って言ってますけど、そもそも偏差値って母集団によって大きく変わるので、何のテストで偏差値30上がったのかまで言わないと意味ないです。

たとえば、高校(普通科)の校内模試で偏差値30上げるのと、駿台の東大実戦模試で偏差値30上げるのとでは、難易度が全然違います。

 

似たような感じで、「E判定から早慶に逆転合格」みたいなのもかなりうさんくさいです。

何の模試での「E判定」なのか言及していないと、まったく信頼できませんからね。

関連記事 大学受験において、模試の判定は信頼できるのか?

 

そして、早慶って学部によって難易度がピンキリなんですよ。

たとえば、早稲田大学政治経済学部と、早稲田大学人間科学部とでは、難易度が全然違います。

 

長々と書きましたが、僕が何に対して怒っているかというと、「多くの大学受験サイトが、軽薄でうさんくさい情報を垂れ流していること」なんですよ。

 

なので、受験生の皆さんに「大学受験のリアルな情報」を届けようと決意し、「ヤバイ大学受験Blog」を開設したわけです。

これは理由の1つ目で、もう1つ理由があります。

 

英語学習のノウハウを届けたいから

浪人時代のところでも述べましたが、僕は大学受験を通じて英語学習に目覚めました。

 

しつこいかもしれませんが、京大に合格できたのは間違いなく英語のおかげです

入学後、周りの京大生に聞いても、大学受験で英語を疎かにした人はほとんどいませんでした。

数学の点数は低かったけれど、英語ではしっかり稼いで受かっている人が意外に多かったです。

特に女の子。

 

以上の経験をふまえて、僕は断言します。

大学受験において、「英語という科目は非常に重要である」ということを。

 

英語が得点源になると、大学受験というゲームの難易度はグッと低くなりますマジです。

入試で英語が課されない大学なんてほとんどありませんから。

関連記事 大学受験において英語を得意科目にするべき3つの理由

 

なので、これまで僕が貯めた英語学習のノウハウを受験生の皆さんに届けて、英語を得点源にして欲しいと思い、「ヤバイ大学受験Blog」を開設しました。

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終わりに

ここまで読んで下さって、ありがとうございました!

 

  • 大学受験のリアルな情報を届ける
  • 英語学習のノウハウを届ける

をテーマに、これから記事をコツコツ作成していきますので、どうぞよろしくお願いします!

 

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